interview
 2011.01.28 UP DATE
ヤドランカはクロアチア語でアドリア海の子です。
母親は俳句と浮世絵を教えてくれて、私は広重に恋をした。





上記2点は「ボスニア河〜SeburuKOTO」「ボスナ河」描きおろし。¥35.000-。

”7月のとても暑い日。京都のような盆地のサラエヴォで私は生まれました。
ニコリーナ叔母さんが「あのきれいな海の名前にしましょう!」といって
アドリア海が私の名前になったのです。

サッカー日本監督だったオシムとは昔も今も仲のいい友人です。”

広重が好きだった少女は人気歌手としてサラエヴォ冬季オリンピックテーマ曲を唄い、
2010年には日本在住22年を迎え、世田谷の家が一番長い住処になっています。
故郷ユーゴスラヴィアは内戦が続き、ボスニアヘルツェゴヴィナに代わりました。
大学で専攻した絵やデザインはプロ級の腕前でポスターも自分で作ったりする。
芸術大学での卒業論文は「色とメロディ」。波乱に満ちた人生のキーワードです。



「アドリア海のおはよう波〜ヤドランカの音とひかり」という彼女の本に書かれている
アドリアティックタオということばは海辺の生き方を意味しています。
ポプラ社\1680(税込)⇧をクリックして購入できます。

下記ポスターは「冬のどうなったソウナッタ1」「モスタルの歴史」

live_report
 2011.01.27 UP DATE
心も体も満足できる、大人のための素敵な音楽を。


ヤドランカのコンサートには様々な楽器の音色がカラフルに溶け合う。
二胡:チェンミン、薩摩琵琶:坂田美子、箏:稲葉美和
ギター:鬼怒無月、アコーディオン:coba、ドラム・パーカッション:芳垣安洋
saz, mandolin:田代耕一郎 etc。
画家でもあり、詩人でもあるヤドランカの心の眼を通して見えてくる音楽風景が
響きあう世界の音楽と共鳴するユーラシアの大地の母の声。
作品をみる、でインタビューと曲もお聴きください。右欄でCD購入も可能です。

officialsite
 2011.01.25 UP DATE
ヤドランカのオフィシャルサイトはこちら
→http://jadranka-jp.com/
 
 profile
ヤドランカ/Jadranka
2016年 追悼盤として、
彼女の代表的な録音を厳選収録した
メモリアルアルバム
「Hvala(フヴァーラ~ありがとう)」


サラエヴォ冬季五輪テーマを唄う
等旧ユーゴスラヴィア出身の
国民的歌手
ヤドランカ・ストヤコヴィッチは
2016.5.3.夜遅く、
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの
バニャルカの病院で亡くなりました。
65歳でした。
ALS筋萎縮性側索硬化症による
呼吸困難のため救急車で
病院に運ばれたのですが、
そのまま息をひきとりました。
ヤドランカは人工呼吸器装着を
なるべく先に延ばし、出来る限り
自力で呼吸することを望んでいた
とのことです。
ヤドランカは2011.3.、
クロアチアでの仕事の為
ボスニア・ヘルツェゴヴィナに
帰国した際ALSと診断され、
そのままボスニアで療養生活
を続けていました。


結果的に最後のCDとなった
2010年「アマリア」
⇧画像クリックで購入できます。



1950年
サラエヴォ生まれ。ダルマチア育ち
シンガーソングライター/画家
18才でベーシストとして
オスロでデビュー。
10代はヴォーカリストとして
欧州各地で喝采を浴びる。
20代は各種音楽賞を受賞。
アイドルとして人気を集める。
サラエヴォ大学哲学部をへて
美術学部卒業
1984年サラエヴォ冬季五輪
テーマ曲により
国民的シンガーとなる。
旧ユーゴスラヴィア芸術大賞
1988年日本に拠点を移す。
故郷サラエヴォは内戦に突入
1991年ユーゴスラヴィア解体
現ボスニアヘルツェゴヴィナ

2000年内戦終結後
サラエヴォで初LIVE。
薩摩琵琶の坂田美子
ギターの鬼怒無月
パリ公演でのLIVE音楽評。
「まるで、ジミヘンドリックス!」


2007年
SARAJEVO LOVE SONGS/Piranha
イギリスの音楽雑誌「SONGLiNES」
歌手年間世界一/CD年間世界一


NHKドキュメンタリー
ローマ帝國/テーマ曲VOCAL
テレビ東京系報道ドキュメンタリー
ルビコンの決断/テーマ曲VOCAL


2007年「音色 おといろ」



1994年「信じているの」