interview
 2007.06.25 UP DATE
スペシャルレポート:その日、岡林信康は再び時を刻み始める。


36年前、日比谷野外音楽堂でその後伝説として語られるコンサートが開催された。
「フォークの神様」岡林信康だ。
当時の若者達は熱狂的までに、興奮し、酔いしれた。しかし彼は表舞台から去る。
36年前の日比谷野音でのステージは引退式であり、当時の自分を葬る葬式の意味が
あったという。「神様」に祭り上げられることに嫌気がさしていたのだ。
彼は今でも京都郊外の町で生活をしている。



「田舎暮らしに、別に楽しいも、楽しくないもないのよ。
俺は60歳だけど都会に住んだのは2年だけ。歌いだした直後2年くらいは東京に
住んだけどそれ以外は、山とか川とか田んぼとかが見えるとこにいるから。
当たり前なんよ。

この当たり前の暮らしが、現在のスタイルである「エンヤトット」という、日本固有
の土着的なリズムにたどり着くヒントとなる。
ただし、好きな音楽をやりたいから田舎に住んでいるというのではない。
むしろその逆、田舎に住んでいるからこそ、そういう音楽ができたのだと彼はいう。

「演歌もやったけど、演歌って言うのは俺の表現法ではないなって思った。
魅力がある姿だけど、アルバムを一枚作ってやめた。1980年くらいかな.
ボブ・デュランのコピーで一生いるのもつまらんなと思った。
そこで日本人のオリジナルなり、日本人にしか書けないロックンロールって
なんだろうってことを考え始めたんだね。

自分にしかできない、オリジナルのロックンロールを追い求めた岡林信康は
韓国のサムルノリと出会ったりという経験をへて、「エンヤトット」という日本古来
でありながら独自のリズムにたどり着く。

「考えているうちにロックというのはリズムだっていうのがまずわかった。それで、
小学生のころ、江州音頭という盆踊りを踊ったときの“陶酔感”を思い出したわけね。
ロックは楽器の編成の問題じゃないなら、江州音頭はロックじゃないかと思った。
このリズムでメロディを新しく作れば日本のロックになると思ったの。あれほどの
陶酔感はロックバンドと何回コンサートしても味わったことがないから。
これはいけるって思ったね。でも、すぐ作れると思ったら25年もかかったよ。



「別に何を錯覚してきてもいいわけよ。最終的に今の俺を聞けば。そこで楽しめる
人は楽しむし、もう岡林は聴きたくないって人は去っていくし。それはそれだよ。

はっぴいえんどとロックをやっても、美空ひばりと演歌をやっても、常に現在の自分
の音楽を聴かせる。それが彼の一貫したスタンスだ。そして変化し続けていく。

 「結局、“今”と“これから”しかないからな。同窓会も楽しいかも知らんけど、
目は前についてんやから、後ろ向いて歩くのは手品だっていうんだよ。
日比谷野音のライブはある種のスタートやと思うよ。次はマジソンスクエアガーデン
と、ロイヤルアルバートホールでしょう。そういうレベルのスタートだっていう事。
日本のリズムを取り戻したミュージシャンが世界に向かって発信するスタートだって
いうことだよ。

マジソンスクエアガーデン、ロイヤルアルバートホールという言葉を、
頬杖をつきながら、さらっと口にする岡林信康。しかし、目は真剣そのものだった。

「日比谷は始まり。次はマジソンスクエアガーデン。」
飄々と語る表情は変わらないエネルギーに溢れていた。
 
2015年弾き語りツアーとして全国を巡る旅の集大成。
デビュー45周年コンサート無事終了。
FUJIROCKとCOUNTDOWNJAPANに出演した2011年。
エンヤトットとロックミュージックが新たなステップに。
美空ひばりを唄う。「レクイエム」

浦沢直樹ぐーたらすーだらロックンロールパーティ
in 新宿ロフトにゲスト出演。唄いっぷりも自由自在。
野外フェス、ひたちなかでは泉谷しげると再会。
TOWER RECORDインストアライブはサングラスで登場
約束通りパワフルなロックバンドを披露しました。
日比谷野音を終えて。変わるもの、変わらぬもの。
スペシャルレポート:その日、岡林信康は再び時を刻み始める。