interview
 2009.08.25 UP DATE
長淵剛、チャゲ&飛鳥のプロデューサーは今、透明水彩にハマっている。


1980.4.25チャゲ&飛鳥デビューアルバム。
スカウトしデビューさせた当時、好きだった「流恋情歌」を含む「風舞」

Q:音楽プロデューサーになろうと志したきっかけは?

随分小さい頃から音楽で食べていくんだろうな〜って事は漠然と思ってたんですよ。
既に中学校の卒業文集に書いてありますね。「音楽で食べていく」って(笑)。
もともと音楽が好きだったんですけど、別に楽器とかがベラボーにうまいとかでは
なかったです。ただ大阪の中学校2年の吹奏楽部の頃にはもう音楽大学の入試問題を
解いたりしてましたし、将来は音大に進もうと思ってたんですよ。それから奈良の高校に進学し吹奏楽部で活動してる頃、些細な事で前歯を傷めてしまったんですが、治療が怖くて歯医者にいけず、そのうち治るだろうと自然治療(笑)してる間トランペットが
吹けなくなり、部長だし、やむなく指揮をしていたらある日顧問の音楽の先生に言われたんです。
「勝手な曲の解釈が面白いよ。君は京都芸術大学の指揮科に行きなさいよ。向いてるよ」と。
喜んで目指しました(笑)。でも高2から必須課目のピアノを始めてもぜんぜん間に合わなかったですね。あきらめました。 よく考えてみるとあの勝手な解釈がプロデューサーの兆しだったかもしれませんね。
で卒業後、しょうがないから方向転換して元々好きだったジャズに行ったんですね。
大阪のプロのジャズオーケストラです。前歯もそろそろ神経が死んで痛くなくなって
きたし吹けるかもと(笑)。バンドボーイから始めてちょっと苦労しましたが、ステージに乗せてもらえるレベルまで頑張りました。しかし割と早く己を知る出来事があったんですよ。
当時、大学生にも関わらずバリバリに名前の売れてたトランペットのタイガー大越さんとか、トロンボーンの向井滋春さんとかが譜面を読む修行の為に来てたんですが、いや、これがすごいんですよ。もう圧倒的に敵わね〜な〜と。こりゃあ僕如きの能力では演奏家としては生きられないんじゃないかと考えるわけです。
で、僕は楽器はやめようと。挫折です(笑)。
でも、なんか悔しいじゃないですか。頭の中のアイデアと口だけでも音楽は多分出来るはずだと。そうだ、頭と口でいこう!(笑)。と言うことでそこからまた方向転換です。しばらくそこに在籍して、編曲を担当していた先輩に教えを請い、コード理論と編曲を独学して、そこそこアレンジの基本を掴んだのち、別のフィールドを探してそのジャズオーケストラを去りました。その後ピアノ調律を学んだり、色々砂利道を転がって、
ヤマハ音楽振興会に「頭と口だけの仕事」(笑)を見つけた訳です。

Q:今までの仕事の中で一番思い出に残ってることや勉強になったことは?

自分の音楽人生の基礎を作る上で大事な時期は、大阪のジャズのフルバンドでトランペット吹いてた時代と、ヤマハの浜松支部在籍時代でしょうか。
ヤマハには、当初音楽ディレクター&アレンジャーとしてお世話になってました。その二つの時期が自分をビルドアップさせたというか、根本を作っていくには一番勉強になった時期ではないかと思うんですよ。特にその頃はPOPCON全盛期で、次世代の音楽家を育てる事にヤマハは大変熱心な投資をしていたんですよ。その投資をしていただいた中の一人として、僕はヤマハにはすごい感謝してますね。
 でも、当時の支部のアレンジは過酷でした。1週間で20曲とか・・・毎日徹夜で・・・しんどくて・・・。煮詰まる時は果てしなく死にそうになるんです。あの過酷さでアレンジャーの仕事を誤解しました。あんまり辛いので、どうせ頭と口だけと決めたなら制作っていうのはどうだろうと思って、本部の制作セクションに希望して移動したんですよ。せっかくフルサイズのポップスオーケストラまでスコアが書けるように育てていただいたのにね(笑)。
そしてプロデューサーになりました。今の仕事の始まりですね。

 余談ですが今、僕のような専業プロデューサーっていうのは少なくなりましたね。最近は楽曲だけ提供するアーティストがプロデューサーと呼ばれ、編曲だけをやる演奏家がプロデューサーと呼ばれ、あるいは工程だけを管理する人もプロデューサーと呼ばれる。音楽も分業システムになってきて色んなプロデューサーが存在するようになりましたね。僕は、詩と曲と編曲と予算をすべて管理する本来のプロデューサーの最期の世代かもしれないです。生き残りみたいな・・・化石みたいな・・・そのうちいなくなるんじゃないですかね、このタイプ(笑)。

Q:今まで一番付き合いが長かったアーティストは?また、印象に残ってることはなんでしょうか?

そうですね、長゚コ君もデビューから12年やってましたけど、途中で降りおりましたから、1番長いのは、これもデビューからのChage&Askaになりますね。
長゚コ君は「昭和」っていうアルバムまでやったんですけど、あのアルバムはやっぱり特別です。意識が高いっていうか、究極に無駄がないというか、あれは非常に印象に残ってます。長゚コ君のアーティストとしての高まりっていうのにも身震いするようなものがありましたね。お金の話で恐縮ですが、研ぎ澄まされた意識の効果は制作費にも大きく現れましたよ。通常の半分以下で済みましたからね(笑)ヤマハの上司からさんざん褒められて報奨金が出ました。5万円でした(笑)。エンジニアの石塚さんと大笑いしながら二人で山分けしました。

あと、代表作はChage&Askaですね。誰でも最初は、つまりデビューの頃なんかは上から引っ張り上げなきゃいけないこともありますけど、そのうちに引っ張る必要もない程どんどん伸びていって、しまいにはどこかの部分は追いつき追い越していく訳ですよ。追い越されてしまえばその部分に関しては一見僕の仕事はいらなくなる見える訳ですけど、ところがそうでもない(笑)。
死ぬまで別の感性を持ってる人間ですから。それぞれに成長した者達が何本もの柱になりながら寄りそって音楽ができていく光景は見事です。快感です。高みに登った人達の音霊(おとだま)言霊(ことだま)はすごいです。彼らはすごいです。まるで神殿に入ったように神聖な気持ちでRecordingに取り組めます。格闘の精神に近いものがあります。期限ぎりぎりまで詰めて詰めても、まだ上がある・・・まだ高みがある、まだ良い音がある、とモノ創りは厳しくも楽しいですから、ず〜っとやりたくなるんですよ。誰かが止めないと・・・(笑)
で、「いいかげんにしなさい」と時間の神様のお告げを僕が伝えて作業を終了してもらいます。

Q:絵と音楽の関わりという部分はありますか?

 透明水彩とRecordingのスタジオ作業はかなり似ていると思います。一方、油絵と作詩の過程はかなり似てると思います。
透明水彩の場合は水と絵の具と紙との自分の思ってないところの偶然がいっぱいあって・・・予想もしない゚瘡櫃�个申峇屬呂゚「襪粘待以上の展�鬚澆擦踈ecordingのような感覚です。この彼がベースを弾いたからこのドラマーがこう叩いた、その人とあの人がこの場にいたからこうなった、同じ時代に生きてる偶然がこの音になってる。それって神様だけが創れる「必然」じゃないですか。その日にしか現れない調和・・・それを形に残していける楽しさ。だから、僕は透明水彩に魅入られてるのかもしれませんね。

一方、油絵はそうではなくて、乾けばいつまでも上から描き足すことができるし、失敗しても削ればまた描ける。だからその人が思い描くところまでは必ず行き着いて完成するんですよ。逆に言えばこれって怖いですよね〜。つまりその人が持ってる実力がバレバレになるって事です(笑)。
油絵を選択した人は勇気があると思います。自分の才能だけと向かい合うわけです。その気になればエンドレスです。これ、作詩とそっくりです。自分が未完成だと思えばず〜っと続けることができるんです。だから天才作詩家君は僕が神様代理で時間を切らないと死ぬまで一曲を書いているかもしれません(笑)。
ま、僕にはそんなに突き詰める根性も無いので「不出来は水のせいだ」と言い訳できる水彩描いてるんでしょうか?(笑)

絵も音楽もコンビニに並ぶものじゃなくて専門店に並ぶものだと思ってます。自分の関わった作品がたくさん売れたりするというのはうれしい事ですけど、どんだけ売ったかではなくて、どんなモノを作ったか・・・音楽や絵は職人気質の凝縮であるべきって言うんですかね。やっぱり機械で削りだしたものよりノミとカンナで削りだした物が美しいと思うんですよ。技と心を合わせた「質」は必ず伝わる・・そう信じてます。いろんな産業でも同じ事ですが、僕の好きな音楽と絵はことさらそうなんじゃないかな。
いくつになってもまだまだ上達する気でいる職人のような人が好きです。そのようなプロデューサーでありたいと思ってます。
 
長淵剛、チャゲ&飛鳥のプロデューサーは今、透明水彩にハマっている。