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 2017.10.29 UP DATE
画業50周年みなもと太郎原画展


「みなもと太郎画業50周年記念原画展
「『ホモホモ7』『ふたりは恋人』から『風雲児たち』まで」が、
10月29日から11月5日まで神保町@ワンダー2階 ブックカフェ二十世紀で開催される。
最終日の11月5日17時にはトークイベントを実施。
「マンガ界の風雲児たち 60年代〜70年代のマンガ状況」と題し、
みなもとと飯田耕一郎によるトークが展開される。
event
 2009.06.01 UP DATE
もうひとつの顔、漫画家が漫画家を論じる先駆け。
杉浦茂101年祭展でも凝り性ぶりは遺憾なく発揮された。




京都国際マンガミュージアムで開かれた「杉浦茂101年祭展」
会場はみなもと太郎制作の愛情に満ちたキャラクター再現で溢れかえった。
150名以上の漫画家達からのポストカードも杉浦茂の影響の大きさを物語る。

「漫画の名セリフ〜お楽しみはこれもなのじゃ」は3社で
単行本化された、漫画家が漫画家を論ずる先駆けとなった名作。
立風書房・河出書房新社・角川書店
1976年、29才の時「漫画少年」創刊から5年後の廃刊まで書き続けられた。
後半2年分の「なんだなんだなんだ」はいまだ単行本化されていない。

みなもと太郎の博識と新鮮な切り口に彩られたパロディ作品と
解説企画は杉浦茂にとどまらない。
楳図かずお、白土三平、あすなひろし、なかやす巧、永島慎二、
赤塚不二夫、水野英子etc。
手塚治虫と横山光輝は本としてまとめられてもいる。
手塚治虫WORLD(ゴマブックス)/横山光輝プレミアムマガジン(講談社)

さらに「ホモホモセブン」から「風雲児たち」まで。
ギャグにこだわり続けマンガから生まれるアイデアは尽きない。
前人未到の博覧狂気は他の追随を許さず今も続いている。





interview
 2009.05.28 UP DATE
ホモホモセブンの頃からキャラクターは出揃っていた。
ぼくは少女漫画出身だったし、あの頃は何でも描きましたね。


書庫は大量の漫画と資料で
ぎっしり埋もれている。

ぼくはギャグと美少女が一緒
でも全然気にならない。
だから「風雲児たち」や
「冗談新撰組」のキャラクター
は最初からいたんだ。

ぼくらの頃イラストレイターが
夢だったように、
母親の時代は挿絵画家が
目標だった。
母親も好きで描いてたんですよ。
これなんか高畠華宵そっくりでしょ。

下の本は葉親の描いたもの。
叔父も油絵だったし。

叔父の父(祖父)が軍人あがりの
警察署長で絵描きになるのは
許されなかったけれど。
親父も記者で粗暴だったけど
芝居やパズルは好きだった。

ギャグのルーツは
  その辺かもしれないなあ。

なんでも研究家肌なのだ。
memorial
 2009.04.01 UP DATE
あすなひろしとコミケ初期から関わり、今も参加。
「おたく文化は世界に通じる」
かねての持論からあすなひろしとともにコミケに参入。
”もっと自由にっていうのがあったね。
飽きっぽい事もあるし。色々やれるのがいい。”
今も、狭いスペースにここだけで販売するコミックを自主制作し続けている。
手描きで製本しながら、昔貸本屋が担っていた交流を、
今コミケは世界を相手にやって いるんだと感じている。

 
 profile
みなもと太郎
ギャグパロディ漫画の巨匠
2007年「
みにゃもとWORLD」


1947年、京都生まれ。
1970年、少年マガジンで
「ホモホモセブン」連載開始。





1979年
月刊少年ワールドで連載開始された
「幕末群雄伝風雲児たち」は
30年以上描き続けられ現在も
なお進行中の大長編。
手塚治虫文化賞特別賞受賞。
2003年
「冗談新撰組」は風雲児外伝6。



2009年、京都マンガミュージアム
「杉浦茂101年祭展」では
実行委員会を努める。





1974年
勃つも勃たぬも男の甲斐性。
平凡パンチ連載「男の劇場」



エキセントリックでアナーキー
ムダに輪をかけ、アホがアホを生む
純愛なしのドタバタギャグ炸裂。
80年代傑作ギャグ大全
「極悪伝〜任侠・男の劇場」



コミケへの想い入れは強い。
ギャグの貴重な復刻版を始め
祖父松吉伝他ありとあらゆる
日本史にまつわる博覧強記をもとに
風雲児外伝は今なお自主制作刊行中
外伝16「油小路の決闘」



2000年「挑戦者たち」
昭和30年代、みなもと氏自身の京都
太秦でのエキストラ体験エピソード
等をまじえた自伝的漫画エッセイ



世界名作をかたっぱしからギャグに
「みなもと太郎の世界名作劇場」



1987年「レ・ミゼラブル」