event
 2009.06.01 UP DATE
もうひとつの顔、漫画家が漫画家を論じる先駆け。
杉浦茂101年祭展でも凝り性ぶりは遺憾なく発揮された。



京都国際マンガミュージアムで開かれた「杉浦茂101年祭展」
会場はみなもと太郎制作の愛情に満ちたキャラクター再現で溢れかえった。
150名以上の漫画家達からのポストカードも杉浦茂の影響の大きさを物語る。

「漫画の名セリフ〜お楽しみはこれもなのじゃ」はこれまで3回に渡って
単行本化された漫画家が漫画家を論ずる先駆けとなった名作だが
(立風書房・河出書房新社・角川書店)
1976年、彼が29才の時「漫画少年」創刊から5年後の廃刊まで書き続けられた。
後半2年分の「なんだなんだなんだ」はいまだ単行本化されていない。

みなもと太郎の博識と新鮮な切り口に彩られたパロディ作品と解説企画は
杉浦茂にとどまらない。
楳図かずお、白土三平、あすなひろし、なかやす巧、永島慎二、赤塚不二夫、
水野英子etc。手塚治虫と横山光輝は本としてまとめられてもいる。
手塚治虫WORLD(ゴマブックス)/横山光輝プレミアムマガジン(講談社)

「ホモホモセブン」から「風雲児たち」まで。
ギャグにこだわり続けマンガから生まれるアイデアは尽きない。


interview
 2009.05.28 UP DATE
ホモホモセブンの頃からキャラクターは出揃っていた。
ぼくは少女漫画出身だったし、あの頃は何でも描きましたね。


書庫は大量の漫画と資料で
ぎっしり埋もれている。

ぼくはギャグと美少女が一緒
でも全然気にならない。
だから「風雲児たち」や
「冗談新撰組」のキャラクター
は最初からいたんだ。

ぼくらの頃イラストレイターが
夢だったように、
母親の時代は挿絵画家が
目標だった。
母親も好きで描いてたんですよ。
これなんか高畠華宵そっくりでしょ。

下の本は葉親の描いたもの。
叔父も油絵だったし。

叔父の父(祖父)が軍人あがりの
警察署長で絵描きになるのは
許されなかったけれど。
親父も記者で粗暴だったけど
芝居やパズルは好きだった。

ギャグのルーツは
  その辺かもしれないなあ。

なんでも研究家肌なのだ。
memorial
 2009.04.01 UP DATE
あすなひろしとコミケ初期から関わり、今も参加。
「おたく文化は世界に通じる」との持論からあすなひろしとともにコミケに参入。
もっと自由にっていうのがあったね。飽きっぽい事もあるし。色々やれるのがいい。
今も、狭いスペースにここだけで販売するコミックを自主制作し続けている。
手描きで製本しながら、昔貸本屋が担っていた交流を、今コミケは世界を相手にやって
いるんだと感じてハマり続けている。

 
 profile
みなもと太郎
ギャグパロディ漫画の巨匠


1947年、京都生まれ。
70年、少年マガジンで
「ホモホモセブン」連載開始。


79年、月刊少年ワールドで連載開始された
「幕末群雄伝風雲児たち」は20年以上描き
続けられ現在もなお進行中の大長編。
「冗談新撰組」は風雲児外伝6。
手塚治虫文化賞特別賞受賞。



09年、京都マンガミュージアム
「杉浦茂101年祭展」では
実行委員会を努める。




コミケへの想い入れは強い。
ギャグの貴重な復刻版を始め
祖父松吉伝他ありとあらゆる
日本史にまつわる博覧強記をもとに
風雲児外伝は今なお自主制作刊行中


世界名作をかたっぱしからギャグに
「みなもと太郎の世界名作劇場」


昭和30年代、みなもと氏自身の京都
太秦でのエキストラ体験エピソード
等をまじえた自伝的漫画エッセイ
「挑戦者たち」


2014年Kindle版ニッポン意外史